無性に気持ちがざわつく
2013年2月19日 日常無性に気持ちがざわつく!!
一年以上ぶりに弁護士に離婚裁判について電話をした。
まず、相手方の代理人に離婚意思と条件について聞くとの
ことだった。
もし解任されていれば、元夫に手紙で協議離婚の意思を
訊くという順序を踏み、裁判へ進める話をした。
その勢いで母へ電話をしてひと月ぶりに話をした。
一番の聞きたいこと、母の血圧計のこと。
その後・・・話は逸れて。
家人と別れたことは、去年の初めに話をした。
もちろん新しい彼のことは隠して。
「本来なら、みのわが我慢が足りないというべき
ところだけど日ごろからあんたたちの話は、
折に触れ聞いていたから別れるに反対はしない。
娘の辛い姿を見るのは忍びないから」
「だけど、お父さんは難しい人だから徐々にしか
家人と別れたことは言えないよ。
理由も、あんたの離婚が長引きそうだから相手の母が
しびれをきらしたというよ。
(私の苦労もわかってよね(怒))」
弟たちに私と家人が別れたことを
話した?と聞くと
「あんたの兄弟には話したけどね。
ふ~んという感じだったよ。」と答えた。
私の上の弟(36歳)は超保守的。下の弟は盲目的に兄ちゃんを
慕っている。
元夫と別れて、家人と一緒になった時は猛烈に上弟は怒って
二度と郷里に帰ってくるなといわれた。
私の父は九州男児。その父に性格が似ている。
だからこそ・・・
母にもっと私が正当化されるような話しの持って行き方で
家人との別れを言ってほしかったと文句を言った。
母は憤慨し、「あのね。向こうが必要以上事情を聞いて
こないのに、こっちがあれこれ姉のあんたが可哀そうな
立場で別れるしかなかったとか言い訳みたいに言葉を
重ねることはできないでしょーが。」と言い募る。
でもね。
少しはフォローしてよ。
毎年一回は顔を合わせるんだよ。
私はお金もないのに交通費を捻出して郷里に向かい、
実家は犬放し飼い屋敷で、アレルギー持ちの娘が
いるから自腹で近くのビジネスホテルに滞在して
いなくちゃならなくて・・・
毎年帰省したくないのに、それでも自腹切って帰るのは
母と父がせかすからでしょう。
直接的に言わず、それとなく顔見せてと匂わせてくる
ところがみそ。
私は毎年は帰りたくないのに、持ち前の相手の望みに
こたえたいと無理してしまう性分で、なんとかして算段
をつけてしまう甘ちゃん長女。
とにかく、18歳まで父に虐待されて親が嫌いなのに
愛さずにいられないという矛盾の塊に苦しむ女。←私。
私の家族は異様に仲良しで、私抜きでもしょっちゅう
出かけてるし(父母、上の弟夫婦子供、独身弟)、私が帰省すると
母の招集がかかり強制的に皆が揃う。
一番の問題児が長女の鉄砲玉の私というわけ。
この役回り放棄したい。
母が「あんた、N(家人)と別れて、元夫とも離婚成立したとして
すぐ誰かと籍入れたら許さないからね。
十年は付き合って、相手を見て納得するまで事実婚でいなさい。
男はみんな同じなんだよ!
いい加減わかるでしょ」
と高血圧なのに電話口で叫んだ。
母の口調が激しすぎて・・・
「十年は無理!!せめて五年にして」と
言うしかなかった。
彼のことは、今は当然言わないけど(言えるわけない。
彼は妻子がいるから。・・・親不孝な娘だ。私は)
たとえ離婚成立してからも、何年も言えないな。
私は落ち着きたい。
両親を安心させたい。
特に母が最近高血圧と診断されてから、強く思う。
私は、父に虐待されたという記憶が邪魔して親孝行が
まともにできない。
その事実に苦しんでいる。
けれど、父が65歳、母が63歳になり旅行とか連れて行き
両親が可愛がっている娘ちゃんとの思い出を作ってあげる
ことが最大の親孝行なんだと考えている。
なのに・・・できないでいるのは怠慢の証だ。
電話一本で「一緒に旅行行こうよ。招待するよ」と
簡単に言えるのに・・・
なんで言えない。
親不孝な娘だ。
親に迷惑ばかりかけ通しで、平然としているバカな女。
のうのうと生きている。
のうのうと生きている。
私は、生きる資格がないのに娘っこが私がこの世に
生きる証左なのだと受け止めている。
一年以上ぶりに弁護士に離婚裁判について電話をした。
まず、相手方の代理人に離婚意思と条件について聞くとの
ことだった。
もし解任されていれば、元夫に手紙で協議離婚の意思を
訊くという順序を踏み、裁判へ進める話をした。
その勢いで母へ電話をしてひと月ぶりに話をした。
一番の聞きたいこと、母の血圧計のこと。
その後・・・話は逸れて。
家人と別れたことは、去年の初めに話をした。
もちろん新しい彼のことは隠して。
「本来なら、みのわが我慢が足りないというべき
ところだけど日ごろからあんたたちの話は、
折に触れ聞いていたから別れるに反対はしない。
娘の辛い姿を見るのは忍びないから」
「だけど、お父さんは難しい人だから徐々にしか
家人と別れたことは言えないよ。
理由も、あんたの離婚が長引きそうだから相手の母が
しびれをきらしたというよ。
(私の苦労もわかってよね(怒))」
弟たちに私と家人が別れたことを
話した?と聞くと
「あんたの兄弟には話したけどね。
ふ~んという感じだったよ。」と答えた。
私の上の弟(36歳)は超保守的。下の弟は盲目的に兄ちゃんを
慕っている。
元夫と別れて、家人と一緒になった時は猛烈に上弟は怒って
二度と郷里に帰ってくるなといわれた。
私の父は九州男児。その父に性格が似ている。
だからこそ・・・
母にもっと私が正当化されるような話しの持って行き方で
家人との別れを言ってほしかったと文句を言った。
母は憤慨し、「あのね。向こうが必要以上事情を聞いて
こないのに、こっちがあれこれ姉のあんたが可哀そうな
立場で別れるしかなかったとか言い訳みたいに言葉を
重ねることはできないでしょーが。」と言い募る。
でもね。
少しはフォローしてよ。
毎年一回は顔を合わせるんだよ。
私はお金もないのに交通費を捻出して郷里に向かい、
実家は犬放し飼い屋敷で、アレルギー持ちの娘が
いるから自腹で近くのビジネスホテルに滞在して
いなくちゃならなくて・・・
毎年帰省したくないのに、それでも自腹切って帰るのは
母と父がせかすからでしょう。
直接的に言わず、それとなく顔見せてと匂わせてくる
ところがみそ。
私は毎年は帰りたくないのに、持ち前の相手の望みに
こたえたいと無理してしまう性分で、なんとかして算段
をつけてしまう甘ちゃん長女。
とにかく、18歳まで父に虐待されて親が嫌いなのに
愛さずにいられないという矛盾の塊に苦しむ女。←私。
私の家族は異様に仲良しで、私抜きでもしょっちゅう
出かけてるし(父母、上の弟夫婦子供、独身弟)、私が帰省すると
母の招集がかかり強制的に皆が揃う。
一番の問題児が長女の鉄砲玉の私というわけ。
この役回り放棄したい。
母が「あんた、N(家人)と別れて、元夫とも離婚成立したとして
すぐ誰かと籍入れたら許さないからね。
十年は付き合って、相手を見て納得するまで事実婚でいなさい。
男はみんな同じなんだよ!
いい加減わかるでしょ」
と高血圧なのに電話口で叫んだ。
母の口調が激しすぎて・・・
「十年は無理!!せめて五年にして」と
言うしかなかった。
彼のことは、今は当然言わないけど(言えるわけない。
彼は妻子がいるから。・・・親不孝な娘だ。私は)
たとえ離婚成立してからも、何年も言えないな。
私は落ち着きたい。
両親を安心させたい。
特に母が最近高血圧と診断されてから、強く思う。
私は、父に虐待されたという記憶が邪魔して親孝行が
まともにできない。
その事実に苦しんでいる。
けれど、父が65歳、母が63歳になり旅行とか連れて行き
両親が可愛がっている娘ちゃんとの思い出を作ってあげる
ことが最大の親孝行なんだと考えている。
なのに・・・できないでいるのは怠慢の証だ。
電話一本で「一緒に旅行行こうよ。招待するよ」と
簡単に言えるのに・・・
なんで言えない。
親不孝な娘だ。
親に迷惑ばかりかけ通しで、平然としているバカな女。
のうのうと生きている。
のうのうと生きている。
私は、生きる資格がないのに娘っこが私がこの世に
生きる証左なのだと受け止めている。
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