娘の涙

2011年11月15日 ふと想う
私の娘は、いつも元気印の
明るくちょっと生意気な小6女子。
泣いたことはあまりなく
(まあ時にはあるけど)、
いろんなことを心の中に閉じ込める
タイプ。
動物占いだと波乱に満ちたペガサス。
矢井田瞳と同じ。芸術家肌。
地主のお嬢様として産まれたのに、
母の不貞で保育園の時に
別居をして、団地住まいの母一人子一人
の生活が始まった。

当時、6歳だった幼稚園児の長男
と3歳年下の双子の兄と娘は保育園児という毎日だった。

元夫との軋轢の末に母親が不貞をして、挙句
興信所を使われて
(興信所に150万円を親に借りて出す元夫。)
あっけなく証拠を突きつけられて、
不貞をやめて元に戻るなら全て水に
流してもいいと追い詰められた。

(遊びはできず本気になるタイプ
ありがちだよね。女の浮気は。)

長男の幼稚園の卒業式も、
小学校の入学式にも出席させてもらえず。
門前払い。挙句に義父に大声で威嚇されて
逃げ帰った情けない母親。
子どもが高熱を出して園を休んでも、
心配して元夫の実家を訪ねても門前払い
された。何度も頼んでも、恥を忍んで
仲人に仲介してもらっても、拒絶された。

同じ保育園に通園していたのに、
迎えに来るのは今までと
違って私は娘だけ。
他のクラスの次男は、
祖父が迎えに来る。
更に、父親からの厳命で
私は次男に逢うことも叶わない。

罰が下った。

同情した保育士にほんの隙間の
時間に、次男を抱かせてもらった時に
保育園の埃と木の日向に当たった匂いが
次男のスモックからかおってきた。
その時いつも次男は
「僕にはママがいないんだよ」と
私に真顔で呟いた。

私のことは本当に忘れちゃったみたいだった。
本当にそう思えた・・・

私は泣き笑いを必死にこらえて、
涙を嚥下して無理やり明るく次男を
抱きしめてどんぐりほっぺたを確かめる。

絶対に子供の前で泣くまいと心に決めていた。
子供の気持ちを混乱させないように、それだけを
祈るように心がけた。

以前は、私が双子を保育園に迎えに
行っていた。
金曜日には双子の布団をも一緒に持ち帰る。
元夫は、育児に全く関知しない人だったから、
次男の迎えは義父が来ていた。

娘はAB型で感情を心の中に
収めるタイプ。

次男はO型で、感情を露わにして
私に甘えるタイプ。

なのに、別居してから次男は
私を忘れることに全神経を集中している
みたいに、泣かなくなった。

長男は、おもらし、チックの症状が出た。
調停の時に、元夫が言ったらしい。
それを聞いて、調停員がお子さんにお母さんを会わせて
あげてください。と言われたのに、それとこれとは別の
ようで私を拒絶した。
私を罰する一心で、元夫の心は鬼にな変化してしまった
のだろう。私の責任だけれど長男の気持ちを想うと懺悔
の気持ちで身が裂かれる焦燥心に煽られた。

本当に何年経っても、薄れることはないんだ。。
母親は絶対子供と離れてはいけないという後悔。
子供を傷つけてしまった罪悪感・・・
忘れることはできず、すべて刻まれている。

(元夫に対しての憎しみ、恨みの炎は消えることはないけど)

娘はもともと癇の強い子ども
だったので夜泣きが酷くて、元夫はさじを投げて
早々に私の元に送りこまれた。

それ以来私は、不貞相手と同棲後も更に罪悪感に苛まれ
笑うこと喜びを感じることに 罪悪を感じ、食べることにも
罪悪を感じて、 起きていると子どもの悲しい顔を想い出して
しまうので薬で無理やり眠っていた。

当然喧嘩ばかり。
気持ちはすれ違うばかり。
心は離れていくだけ。

私は子供が一番大切だったのに!!
なぜ愚かな女に成り下がったのだろう。
あんたなんて生きる資格なんてない。

こんな大事なことに気が付かなかった。
気づいた時には、もう遅すぎた。
愚かな女。最低な母親。

不貞相手は、すぐに自分の家庭に戻っていった。
相手の奥さんからの慰謝料請求裁判が始まった。
逆美人局版如く、不貞相手は私に不利な証拠を
あげつらった。
まあ、家庭に戻るのだから奥さんには私に騙され
唆されて不貞に至ったのだと主張したかったのだろう。
未成年の少年じゃあるまいし・・・
判決は当然、相手の希望に沿わないものだった。
大人なんだから、ちゃんと自分のした事は被害者ぶらず
敢然と受け入れましょうということ。

私の生活はというと、吐いてばかりで就寝夕方6時、
起床5時の日々が続いた。
体重も1カ月経たずに
10キロ減り転倒してばかり。

娘の食事はきちんとしていた。はず・・・
記憶が・・・あまりないのが正直なところ。


保育園の保育士が
「長女は、表面はとても明るく元気
ですがけして安心しないで。
次男と違って、この子は急に環境が
変わっても心の中に全てを溜めこめてしまう。
態度が変わらない方が心配です。
きっと心の中に相当辛いことや悲しいことを
ためこんでいるから、気をつけてみていて
あげてくださいね。」
と言われた。涙が出た。

(いつも涙三昧だった。)

新婚当時・・・
私は不妊症だったのに、元夫もその親も
消極的だったのにひとりで頑張って、
痛くてツライ検査を受けて毎日排卵
誘発剤を受けに通院し続けて、
3人も宝物を授かったのに 。

本来なら慈しみ、大切に育てていくべき命なのに。

私は、愚かな人間で自らおかした罪により
たったひとりだけ手元に残された。

私は、娘の激しい夜泣きの
おかげで不貞を犯したにも関わらず
子どもを育てる恩恵を授かった。
私は、罪を犯した。
元夫とその父親に昔なら市中引きづられて
斬首刑だと罵られた。実際に蹴られた。
当然のように、幼稚園や保育園、
ママ友の各家に私は最低な不倫女だと
触れまわられた。淫売女だと罵られた。


私は娘を宝物のように大切に育ててきた。
それはそれは大切な王女のように。

そして周囲の数々の援助を受けながら、
ここまで一歩ずつ娘と二人でひとつの
船に乗り込んで、オールを漕いできた。
様々な有意義な出会いを経て、
大小様々な波を乗り越えてきた。

娘は私にとってかけがえのない娘。
かわいくて強くて元気で私の宝物というワケ。
その言葉を、何度も言い聞かせて育ててきた。

今日は、夕方ご飯食べたらものすごい
睡魔に襲われてお風呂に
入るまで少しだけ眠っていた。

起きて下に降りて行くと、
娘が目を真っ赤にして泣いていた。
びっくりして声をかけると
「ママ~ごめんね~」と
駆け寄ってきた。

いつも観ているNHKの「アイ・カーリー」
の後に「みんなのうた」がある。

それは、小象と母象との物語を描いた歌。
母一人子一人の象の親子は、
ある日小象がいつものわがままで夜空に
浮かんでいる月を取ってきてほしいとねだった。
困った母像は仕方なくとりに出かけたが、
途中で猟銃によって銃殺されてしまった。
戻ってこない母象を探し求めて、
小象はさまよいようやく母象の亡骸を見つけた
・・・というお話。

「ママ、ごめんね。うち、いつもママに
わがままばかり言って困らせて寿命を
縮めているんだね~(涙)
これからは、ちゃんと手伝いするから
長生きしてね(涙)」

とワンワン泣いていた。

その日は確かに皿洗いしてくれた。

けれど、今はまた元の木阿見。
やっぱりね。

思春期だしね。

コメント