娘っ子が家人の母宅へ日帰りで遊びに行った。
私の心は複雑だけど。

私が娘っ子を家人母の家にお泊りすることに難を示すと、威張りちらし、勘違いして、「自分は父親だ」と、
血が繋がっている母親よりも「孫を祖母に合わせる権利」を主張する。そのたびに、心の中で警戒する。
娘っ子と私は心をひとつにして用心する。

私と娘っ子にとっては、家人は・・・・
いえないけど、心の中では一致している。

だから勘違いして欲しくない。
私と娘っ子の生活を支えているからといって、私は感謝は
してるけれど、それ以上は・・・

なぜなら、家人は上から目線で常に私と娘っ子を馬鹿にしているから。家人は、自分の感情には超敏感なのに(鉛筆
の芯の様に尖っている)
人の感情には鈍感。呆れるほど。

常に批判的だから、私と娘っ子の言葉に同意を示す事は
めったにない。会話が成り立たない。無口な上に批判的。

「自分の考えが正しい。」

それによって、口論となり、私や娘っ子が自分の言い分を
いう機会があっても受け入れない。全て自尊心や誇りすら
叩き潰してしまう。

私や娘っ子が涙を流すと、それに対して「話にならない」と
冷たく突き放して、氷のような厳しい態度で捨て置く。
いつまでも。いつまでも。謝るまで。
叱った後や怒った後のフォローはしない。
自業自得という。

けれど、私と娘っ子は自分が間違っているとわかったときは
必ず謝るけれど、間違ってないと思うことは臆することはない。
自分を守る事は大切な事。

人の感情を傷つける家人に追従できない。

正しさだけが唯一の答えじゃない。

それをいつも、家人はふみにじる。

いろんな感情が入り混じって、結果に繋がる事が多い。
それが正しくても、間違っていても、経過は人の感情の絡みで
いろんな具合で成り立っている。

その経過を私は見つめたい。大切に考えたい。

家人は結果のみ。経過なんて無視。

自分の言い分のみを頑なに守り、貝のように心を閉ざし、不機嫌な顔で私や娘っ子の泣き顔を無視する。

そのくせ、決まってあとから謝ってくる。寂しくなったから?
でも、私と娘っ子の傷ついた気持ちはどうでもいい。
ただ、一人になりたくないから
寂しいから謝って仲直りしようと提案してる。
「俺が歩み寄ってやったんだから、文句言わず仲良くしろ」
とこうくる。勝手な人間。

私は、いつも、生活を守るために折れて受け入れるけれど
それも疲れるしむなしい。もう5年半以上続いてる。

花束や、メール、プレゼントやマッサージ・・・
それらも嬉しいけれど、なんで私や娘っ子の涙は拒絶するの。
冷たくない?

人の心を斟酌し大事にできないなら、いつかわかれがくるよ。
そのとき後悔しても戻らない。

なんでわからないんだろう。
何度も何度も、訴えているのに、家人は人の心は理解できないみたい。
ただ、わーわーと泣いて叫んで騒いでいるようにしか感じられないみたい。
うるさい、ぎゃーぎゃーわめくな、女ども!
としか感じられないみたい。面倒くさいって。。

わからない・・・

いつか私と娘っ子に、たった一人、捨てられてもわからないのかな。
寂しいな・・・
そんなことしたくないのに。


コメント