いつも、元気に笑顔でそばにいてくれる娘に感謝!
前の結婚生活は8年目で、私の不貞により破綻。
当時三歳になったばかりの娘を連れて別居しました。
もともと元夫とは互いに消耗する関係のまま結婚し、
夫婦としての信頼関係やゆるぎない土台を築くことなく、その関係は破綻するまで続きました。
私はそんな相性の悪い元夫でも、全てを依存し甘えていました。
というのも、結婚当時から元夫に私の言動に疑問を投げかけられ
否定される事が多くなり、段々私は自分の考える事が夫のいうように
おかしいものなのかもしれないと思わされるようになったからです。
自分の考えに自信が持てなくなり、元夫が常々「俺の言う事に間違いない。
俺の言うとおりにしていればいいんだから。俺が物事を黒といえば
お前が白と思っても黒に従うんだ」といわれてきました。
初めのうちは、それは違うと思えば元夫に対して言い返したりして
いたけれど、そのたびに元夫は不機嫌な態度になり不安な気持ちに
なりました。そのパターンが繰り返されると良くない学習能力?が
身についてしまい、やがては自分の考えよりも元夫の考えにつき従う
ようになっていきました。
私の身の回りの人間関係は、私を支配し管理したい夫にとっては
邪魔でしかないものなので、当然のように切られていきました。
私は、周囲の人と(実家も含めて)付き合う事で元夫が冷たく意地悪な態度に
なるのが怖くて次第に疎遠になっていきました。
結婚生活は、
元夫の実家が地主で、夫婦揃っておんぶに抱っこの生活でした。
世間知らずのおめでたい主婦だったのです。
可愛い子供たちにも恵まれたのに、満たされない私は元夫への不満から他の
男に逃げてしまい、結果的に大切な子供たちを傷つける形になりました。
取り返しのつかない事態に自らをおとしめてしまったのです。
不貞の行く末は無残なものでした。
元夫に興信所をつけられて不貞が発覚し、元夫とその父に追い込まれました。
元夫とその父が、証拠の写真等をもって不貞相手の奥様や、不貞相手の実家に
乗り込んで修羅場となりました。
私の友人や、子供の通っていた幼稚園の先生、近所、マンションの住人にも事情聴取という
名目で「嫁が不貞をした」と触れ回り、私は近所を歩くことすらできなくなりました。
きっと、元夫もその父も精神状態がおかしくなってしまったんだと今は思っていますが、
当時は彼らの言動が怖くて怯えていました。
「お前は野垂れ死にさせられて当然のことをしたんだ。メス豚め。」
といわれたり「不貞をするような」子供を育てた私の両親についても
「薄汚い母親」等と呼ばれました。
周りの好奇の目にさらされた私は、心療内科に通っていましたが
元夫のセックスに応じなければならなかったり、
元夫の暴言に耐えなければならなかったり
自分の行動の結果を自業自得として、全て受け入れなければと
一度は覚悟を決めたのですが、自分可愛さで元夫から逃げることしか
できなくなりました。
不貞相手の奥様から裁判を起こされて、被告席に立ちました。
その際、不貞相手も奥様側の証人となり私に一方的に騙されて
不貞関係に陥らされたと主張されました。
私は、まだ当時は不貞相手のことを信じていたのでかなり打ちのめされました。
あれだけ私のために情熱を傾けてくれた人が・・・
信じられませんでしたが、結局お互い様。
後に残ったものは、後悔と懺悔と自己嫌悪と莫大な慰謝料のみでした。
元夫と不貞相手の奥様は、頻繁に電話で毎日話しており(私について)
そこへ不貞相手も加わり奇妙な団結心で結ばれていました。
私は一切蚊帳の外で、激流の中にただ一人投げ落とされた衝撃と
これからどうなってしまうのかという不安にさいなまれました。
あれほど私のそばで戦ってくれていた人が、手のひらを返したように私から離れてしまった。
更に私に向けて攻撃してくるとは思ってもみなかった展開だったので、
一時期人間不信に陥りました。
きっと、彼らもそうだったのでしょう。
私は元夫と離婚前提で別居を始めました。
離婚を許してくれなかったので、暴言や脅しが酷くなった頃
着の身着のままで衝動的に家を出てしまいました。
その後、私の行動に呆れた元夫と区役所で落ち合い世帯分離の
手続きと健康保険、国民保健の区分変更、娘の児童手当の支給口座
の変更(監護人が元夫から私に変更)等の手続きを済ませました。
子供については、元夫と話し合い長男、次男は元夫のもとで育てる。
長女については、私のもとで育てるという話し合いをしました。
兄弟を分けるということが、子供にとってよくないことだと悩みましたが、
元夫が「子供たちは共同養育していこう。会いたいときには会えるんだから」という言葉に無理やり自分の心を納得させました。
私自身、まだ薬を飲んでいて働くことができなかったので子供を養うことに
自信がもてなかった。
やはり子供には何不自由なく今までどおりの生活を送らせてあげたかった。
その意味では、娘にはかわいそうなこともしてしまいました。
元夫は、もともと長女に対しては不思議なほど愛情を示さなかったので
すんなりと手放しました。
(成長が遅い娘に対して、知能が遅れている。知恵遅れ等酷い言葉を使っていました)
結局別居以降、子供たちには会わせてもらえず。
調停も二度しましたが状況は変わらず今に至ります。
離婚にも同意してもらえません。
私にできることは養育費を毎月現金書留で送ること、季節ごとにプレゼント(本が多い)を送ることくらいです。
母親として何もできないことが情けないです。母親として既に失格しています。
元夫とも一切話し合いができないまま、三年と半年が過ぎようとしています。
パートナーの彼とは、別居して働き始め、しばらく経って知り合いました。
しばらく遠距離でやりとりしていましたが(いつも吐き出させてもらっていました。
かなり支えになってもらいました)
前の結婚生活は8年目で、私の不貞により破綻。
当時三歳になったばかりの娘を連れて別居しました。
もともと元夫とは互いに消耗する関係のまま結婚し、
夫婦としての信頼関係やゆるぎない土台を築くことなく、その関係は破綻するまで続きました。
私はそんな相性の悪い元夫でも、全てを依存し甘えていました。
というのも、結婚当時から元夫に私の言動に疑問を投げかけられ
否定される事が多くなり、段々私は自分の考える事が夫のいうように
おかしいものなのかもしれないと思わされるようになったからです。
自分の考えに自信が持てなくなり、元夫が常々「俺の言う事に間違いない。
俺の言うとおりにしていればいいんだから。俺が物事を黒といえば
お前が白と思っても黒に従うんだ」といわれてきました。
初めのうちは、それは違うと思えば元夫に対して言い返したりして
いたけれど、そのたびに元夫は不機嫌な態度になり不安な気持ちに
なりました。そのパターンが繰り返されると良くない学習能力?が
身についてしまい、やがては自分の考えよりも元夫の考えにつき従う
ようになっていきました。
私の身の回りの人間関係は、私を支配し管理したい夫にとっては
邪魔でしかないものなので、当然のように切られていきました。
私は、周囲の人と(実家も含めて)付き合う事で元夫が冷たく意地悪な態度に
なるのが怖くて次第に疎遠になっていきました。
結婚生活は、
元夫の実家が地主で、夫婦揃っておんぶに抱っこの生活でした。
世間知らずのおめでたい主婦だったのです。
可愛い子供たちにも恵まれたのに、満たされない私は元夫への不満から他の
男に逃げてしまい、結果的に大切な子供たちを傷つける形になりました。
取り返しのつかない事態に自らをおとしめてしまったのです。
不貞の行く末は無残なものでした。
元夫に興信所をつけられて不貞が発覚し、元夫とその父に追い込まれました。
元夫とその父が、証拠の写真等をもって不貞相手の奥様や、不貞相手の実家に
乗り込んで修羅場となりました。
私の友人や、子供の通っていた幼稚園の先生、近所、マンションの住人にも事情聴取という
名目で「嫁が不貞をした」と触れ回り、私は近所を歩くことすらできなくなりました。
きっと、元夫もその父も精神状態がおかしくなってしまったんだと今は思っていますが、
当時は彼らの言動が怖くて怯えていました。
「お前は野垂れ死にさせられて当然のことをしたんだ。メス豚め。」
といわれたり「不貞をするような」子供を育てた私の両親についても
「薄汚い母親」等と呼ばれました。
周りの好奇の目にさらされた私は、心療内科に通っていましたが
元夫のセックスに応じなければならなかったり、
元夫の暴言に耐えなければならなかったり
自分の行動の結果を自業自得として、全て受け入れなければと
一度は覚悟を決めたのですが、自分可愛さで元夫から逃げることしか
できなくなりました。
不貞相手の奥様から裁判を起こされて、被告席に立ちました。
その際、不貞相手も奥様側の証人となり私に一方的に騙されて
不貞関係に陥らされたと主張されました。
私は、まだ当時は不貞相手のことを信じていたのでかなり打ちのめされました。
あれだけ私のために情熱を傾けてくれた人が・・・
信じられませんでしたが、結局お互い様。
後に残ったものは、後悔と懺悔と自己嫌悪と莫大な慰謝料のみでした。
元夫と不貞相手の奥様は、頻繁に電話で毎日話しており(私について)
そこへ不貞相手も加わり奇妙な団結心で結ばれていました。
私は一切蚊帳の外で、激流の中にただ一人投げ落とされた衝撃と
これからどうなってしまうのかという不安にさいなまれました。
あれほど私のそばで戦ってくれていた人が、手のひらを返したように私から離れてしまった。
更に私に向けて攻撃してくるとは思ってもみなかった展開だったので、
一時期人間不信に陥りました。
きっと、彼らもそうだったのでしょう。
私は元夫と離婚前提で別居を始めました。
離婚を許してくれなかったので、暴言や脅しが酷くなった頃
着の身着のままで衝動的に家を出てしまいました。
その後、私の行動に呆れた元夫と区役所で落ち合い世帯分離の
手続きと健康保険、国民保健の区分変更、娘の児童手当の支給口座
の変更(監護人が元夫から私に変更)等の手続きを済ませました。
子供については、元夫と話し合い長男、次男は元夫のもとで育てる。
長女については、私のもとで育てるという話し合いをしました。
兄弟を分けるということが、子供にとってよくないことだと悩みましたが、
元夫が「子供たちは共同養育していこう。会いたいときには会えるんだから」という言葉に無理やり自分の心を納得させました。
私自身、まだ薬を飲んでいて働くことができなかったので子供を養うことに
自信がもてなかった。
やはり子供には何不自由なく今までどおりの生活を送らせてあげたかった。
その意味では、娘にはかわいそうなこともしてしまいました。
元夫は、もともと長女に対しては不思議なほど愛情を示さなかったので
すんなりと手放しました。
(成長が遅い娘に対して、知能が遅れている。知恵遅れ等酷い言葉を使っていました)
結局別居以降、子供たちには会わせてもらえず。
調停も二度しましたが状況は変わらず今に至ります。
離婚にも同意してもらえません。
私にできることは養育費を毎月現金書留で送ること、季節ごとにプレゼント(本が多い)を送ることくらいです。
母親として何もできないことが情けないです。母親として既に失格しています。
元夫とも一切話し合いができないまま、三年と半年が過ぎようとしています。
パートナーの彼とは、別居して働き始め、しばらく経って知り合いました。
しばらく遠距離でやりとりしていましたが(いつも吐き出させてもらっていました。
かなり支えになってもらいました)
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